弁護士 小川義龍 の言いたい放題

 30年選手の弁護士小川義龍(東京弁護士会所属)が、歯に衣着せず話します。

なぜ、"悪人"を弁護するのか?

よく尋ねられる質問だ。

 弁護士はあるときはヒーロー、あるときは悪役になる。特にマスコミがそのように報道する。以前、読売新聞社説に、こんな記事が掲載されていた。一部抜粋する。

【秋葉原事件死刑 理不尽な凶行が断罪された(読売新聞社説)】

  2008年6月に東京・秋葉原で7人が殺害され、10人が重軽傷を負った無差別殺傷事件で、東京地裁は殺人罪などに問われた元派遣社員の被告(28)に、求刑通り死刑を言い渡した。・・・(中略)・・・ 昨年1月の初公判以来、公判は30回に及び、出廷した被害者や遺族らは42人に上った。被害者らの多くの供述調書について、弁護側が証拠採用に同意しなかったため、法廷での証言により事実を認定する必要が生じたのだ。つらい記憶を呼び戻して証言しなければならない被害者や遺族の立場を思えば、弁護側の手法には疑問符が付く。裁判官にも厳格な訴訟指揮を期待したい。

弁護のあり方への批判

 この記事は、「弁護側の手法には疑問符が付く」として弁護のあり方を全面的に批判している。
 この事件に限らず、捕まった本人が犯人であることの明らかな事件について、マスコミは弁護のあり方をしばしば批判する。要するに「悪人をなぜ弁護するのか?」ということだ。

 しかし、一般市民がこのような疑問符を投げかけるのはやむをえないが、マスコミが言うのはルール違反だ。というのも、マスコミは、なぜ弁護士が悪人を弁護するのか、その本当の理由を知っているはずだからだ。

悪人を弁護する本当の理由

 その本当の理由とは、こうだ。
 弁護士が悪人を弁護するのは、その悪人自身を弁護しているというよりも、適正手続を弁護している。

 適正手続というのは、どんな悪人であっても法令の定める適正な手続きに従って裁かれなければならないという法治国家の大原則だ。具体的に言えば、どんな裁判もはしょらず、無駄だと思わず、慎重に真剣に取り組むべきとの大原則だ。

 これが、もし悪人に適正手続は要らない、裁判なんて適当にはしょって早く死刑にしろ、ということになったら、これは危険だ。なぜなら、それこそ歓声と喝采によって広場で魔女を火あぶりにした中世と同じ社会に戻ってしまうからだ。中世の魔女狩りが野蛮なのは、無実の者がいとも簡単に罪に問われてしまったところにある。
 人が人を裁くというのは、自分が見聞していないことについて、過去の事実はこうだと断定することであり、神ならざる人にとっては慎重に行うわなければならない危険行為だ。一見、悪人のようだが、実は悪人じゃないかもしれないのだ。だから、風聞や感覚や印象で他人を裁いてはならず、あくまでも客観的証拠と多角的検証を踏まえて行わなくてはならない。その客観的証拠に基づく事実認定や多角的検証は、面倒でも適正な手続に従って慎重に行われなければなしえない。そうでなければ、冤罪が防止できない。

適正手続は例外なく行われる必要がある

 そして、この適正手続は、例外なく行われなくてはならない。

 適正手続に例外を認めてしまうと、風聞や感覚によって例外がどんどん広がっていって、結局、適正手続が骨抜きにされてしまう可能性がある。だから、一見、適正手続が無駄に見えるような、犯人性明らかな事件でも、原則どおり、しっかりと手続を踏まえる必要がある。

弁護士は仮説を立てる者

 このように、弁護士は今まさに悪人として裁かれている者を弁護しているように見えて、実は、法治国家が弁護士に要請する「適正手続の擁護者」としての役割を果たしていることを知ってもらう必要がある。マスコミは、この肝心なことを世間に丁寧に報道してくれない。

 どんな悪人に対しても、「もしかしたらこの人は違うのではないか」という仮説を立てることを、手続上の役割として果たすことを期待されているのだ。これは法律で決められていることであり、ということは国会で「みんなが決めたこと」だ。決して弁護士が思いつきで勝手にやっていることではない。
 もっとも弁護士が、悪人を否定するような仮説を立てるのは、とりわけ犯人性が明らかに見える事件の直接の被害者にとっては不快だろう。

 しかし、最終的に判断するのは裁判官であり、弁護士が仮説を立てたからと言って誰も迷惑しない。最終的に正しい結論を出すのは裁判官だからだ。

 むしろ弁護士は、1%でも可能性があるならば違う見方を裁判官に示す手続上の必要があるから、敢えて行っているのだ。心の中で被害者の心中を察して泣きながらも、毅然として自分の役割を果たしている弁護士が多いだろうと思う。

「あなた」が冤罪で捕まることを想像してほしい

 実際「あなた」が、冤罪事件で裁判にかけられたと想像してみてほしい。

 マスコミは、逮捕されたら犯人という論調で報道するから、あなたは世間からは白い眼で見られるし、早く処刑しろという様子で騒がれる。これはマスコミの報道を年中見聞きしているあなたなら、簡単に想像できるはずだ。

 実際、近いところでは厚労省局長の事件がそうだったし、以前には松本サリン事件がそうだった。彼らがマスコミや世間から犯人だと白い目で見られても、最後には無罪になったは適正手続が正しく機能しているおかげであり、いかなる場面でも、例外なく、被疑者被告人を全く同じように弁護する弁護人あってこそだったのだ。それとも、あなたは、世間から早く処刑しろと騒がれたら、もう弁護しなくていいですと諦めるのだろうか。

白いものを黒くしないための刑事弁護

 適正手続に基づく刑事弁護は、そして刑事弁護は、黒いものを白くするために行っているわけではなく、白いものを黒くしないためにあるのだ。そして明らかに黒いものであったとしても、将来の冤罪防止、国民の人権保障という重要な役割を担っているのだ。
 このように、弁護士がなぜ悪人を弁護するか、その本当の理由をマスコミは知っているはずなのに、この部分を報道しないのは困ったものだ。まして読売新聞の社説ともあろうものなら、世間の表面的な感情論を煽るだけではなく、刑事弁護の重要な意義をしっかりと述べた上で、批判するなら批判して欲しい。

読売新聞社説、その末尾を、私だったら、こう書く。

「弁護人が法治国家の大原則である適正手続擁護のために、いかなる被疑者・被告人に対しても万全の弁護活動をすることは納得できる。しかし、つらい記憶を呼び戻して証言しなければならない被害者や遺族の立場を思えば、本件のように犯罪事実が明かな事件に関して、弁護側の手法として別の方法はなかったのかを検討したいところだ。」
 と。

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