「先生、勝てますか?」
この質問は、弁護士が尋ねられやすい質問ベスト3を挙げたら必ずその中に入るだろう。もしかしたら、ベスト1かもしれない。
誰かと争いごとになって、裁判することまで考えたとき、その勝敗が気になるのは当然のことだ。
裁判は勝っただけでは意味がない
しかし、実は裁判は勝っただけでは意味が無い。
どうしてかというと、裁判に勝っても、相手にお金がなければ絵に描いた餅だからだ。
裁判の多くは、相手にお金を請求するものだ。そのお金とは、慰謝料だったり貸金だったり売掛金だったり賠償金だったり、名目はさまざまだが、結局お金を払ってくださいということになるのが裁判だ。そして、お金を払いなさいという裁判所の命令を相手に出してもらうことが裁判に勝つということだ。
しかし、どうやら一般の人は、裁判所が出した命令に従わない人がいるとは夢にも思っていないらしい。裁判に勝てば、その判決に書かれた内容どおり、参りましたとばかりに相手が自分にお金の支払いをすると思っているとすれば、大間違いだ。
裁判に勝っても、相手にお金がなければ、払いたくても払えない。
相手にお金があっても、裁判に負けた腹いせに、あんなやつに支払ってやるもんか、判決には従わないと考える人もいる。だから判決どおり支払われないという事態はよくある。
判決に従わないのは罪になる?
じゃあ、判決に負けた側にお金がなかったらどこかから借りて支払う義務はないのか、といわれれば、そのような義務はない。お金があるのに判決に従わないことは違法じゃないか、犯罪じゃないか、といわれれば、必ずしも違法でも犯罪でもない。判決を無視するなんて裁判所を馬鹿にした行動にでる相手に対して、判決を出した裁判所は督促や取立をしてくれないのか、といわれれば、そんなことはしない。
それじゃ、勝訴判決をとった意味が無いじゃないか、といわれるかもしれないけれども、そのとおりだ。勝訴判決というのは、それだけでは、まだ「道半ば」と思って頂く必要がある。
勝訴判決の本当の意味
ここで勝訴判決の本当の意味をお教えしよう。
勝訴判決というのは、ただの「切符」だ。どんな切符かというと、「負けた相手から、あなたは自由にこの金額を取っていいですよ」という切符だ。裁判所はその切符を発行した窓口だと思えばいい。
そして電車にしろ映画にしろ、切符を買っただけで目的は達しまい。電車なら乗車する、映画なら鑑賞する、これでようやく満足するわけで、切符そのものは、ただの紙切れだ。
しかし、この切符は、誰でも取れる切符ではない。漫然と窓口に並べば取れる切符ではなくて、裁判で一生懸命努力した成果としてようやくとれるプラチナチケットだ。だから、勝訴判決が出たところで、とりあえず「やった!」と喜んでかまわない。しかし、プラチナチケットだろうと切符に変わりは無いから、とっただけでは意味が無い。
そして、切符とは、持っているだけで電車の方から迎えに来てくれるわけでもないし、映画やコンサートが自分の居るところで開催されるわけでもない。プラチナチケットであってさえ、自分で会場まで足を運ぶ必要がある。足を運んで始めて、満足できるのだ。
強制執行への切符が判決
そうすると、勝訴判決という切符を持って、いったいどこに足を運べばいいのかというと、それは、強制執行という手続の場所だ。
勝訴判決という切符によってなしうる手続が強制執行なのだ。強制執行というのは、相手に有無を言わせず、その財産を勝手に取り上げてそれを勝手に換価処分してお金として回収できる手続のことをいう。俗に、差し押さえとか競売とか言われる手続だ。判決に勝っただけでは、相手がその判決に従ってくれない場合に、裁判所が自動的に何かをしてくれるわけではない。勝訴判決に基づいて、強制執行をしてくださいと改めて申し立てをすることによって、裁判所は渋々、重い腰を持ち上げてくれるのだ。
資産はこちらで見つける必要あり
ただし、相手の財産が特定できなければ、強制執行はできない。
何か適当な財産を見つけて強制執行してくださいという、裁判所丸投げ型の申し立ては原則として認められていない。「この銀行支店の口座」とか「この会社からの給与」とか「この不動産」とか、ある程度まで特定しないと、強制執行はできないのだ。
じゃあ、相手の財産がわからない場合とか、相手に財産がないばあいは、どうなるか。 即ち、強制執行はできないということになる。 ということは、勝訴判決は絵に描いた餅ということになるのだ。
我々弁護士が考えること
だから我々弁護士は、当初相談時に「先生、勝てますか?」と尋ねられたら、裁判に勝てるかどうかの見通しをたてるだけでなく、強制執行ができそうかどうか、このことも十分考えて依頼者にお答えすることにしているのだ。
依頼者が「先生、勝てますか?」と尋ねているのは、要するに「先生、回収できますか?」と聞かれているのに等しいということを、僕らは知っている。