弁護士 小川義龍 の言いたい放題

 30年選手の弁護士小川義龍(東京弁護士会所属)が、歯に衣着せず話します。

法的「責任」とは何か

法的責任って理解してますか?

 法的な意味で「責任」を追求するという場合、世間にはその責任をごちゃっとひとかたまりで捉えている人が多そうだ。

 このため、例えば借金を返済しない者に対して、警察に訴えたい、捕まえて欲しいと言う人が出てくる。しかし、この責任の取らせ方はちょっと違うのだ。
 そこで、法的に「責任」といったとき、それは一体なにを意味するのかということを一般向けのイメージとしてごく簡単に語ってみたい。法学的に正しい理屈を語ろうとするものではないので念のため。

3つの責任

 およそ「責任」と言った場合、法的観点からは3つに分けるとわかりやすい。

 まず(1)道義的責任(社会的責任)、そして(2)民事責任と(3)刑事責任だ。このうち、後二者、つまり民事責任と刑事責任を併せて法的責任という。以下、分けて説明しよう。

(1)道義的責任(社会的責任)

 道義的責任とは、法律上の責任ではない。つまり裁判に訴えることまではできないが、この場面では謝るべきだろう、恐縮すべきだろうという場合の責任だ。法律上の根拠があるわけではなく、したがって明確な責任基準や責任内容があるわけではない。あくまでもその時代や社会の道徳観だとか、宗教観だとか、民族観だとか、或いは人間として何となく溢れ出る正義感だとか、そんな曖昧なものを根拠とした責任だ。だから、時には行きすぎた責任追及の様相を呈したりもする。とりわけ、新聞などのメディアが、拙速に道義的責任追及をしがちな傾向にある。曖昧模糊とした責任なので、感情的、大衆喝采的、魔女狩的になりやすく、実は意外と怖いのが道義的責任だ。

 いずれにせよ、ごめんなさいという責任、さらしものにされる責任、白い眼で見られる責任、噂話のネタにされる責任、自ら詰め腹を切る責任、こんなところが道義的責任の実態だろう。

(2)民事責任

 さて道義的責任は得体がしれないが、民事責任は法的責任だから、その中身がはっきりしている。なぜなら、法律に責任の発生原因と内容が明記してあるからだ。責任をとるべき場面と責任の取り方がはっきりしているのはわかりやすく安心だ。まさに法治国家、自由主義国家の根源をなすものといえよう。いざとなった時の責任の取らされ方がはっきりしていなければ、人はびくびくしながら消極的に暮らすことになり、自由活発な社会は実現しないからだ。法的責任が、明快な責任たる理由はここにある。

 この民事責任とは、一言で言うと「金を払うこと」だ。金で済ますことが民事責任の骨格だと思っていい。この金で済ますことを損害賠償という。なお、損害賠償のうち、人を精神的に傷つけた場合に払うものを慰謝料という。いずれにせよ、民事責任は金を払うことが本体であり、何か失敗をした場合に広く認められる。だから、法的責任として追及しやすいのは、この民事責任だ。先ずは民事責任が追及できるかどうかを検討するのが法律家の定石と言える。

 時々、「誠意を見せろ」という責任追及の仕方をする人がいるが、これは法的には強制できない道義的責任を追及しているだけのことで、民事責任ではない。法的責任を取り扱う弁護士に対して誠意を見せろと要求しても、冷たくスルーされるか、ヤクザ者かクレーマーの類だと思われて、それは恫喝ですかと応酬されるだけなので意味が無い。

(3)刑事責任

 一方、刑事責任も法的責任であるが、こちらは一言で言うと「罰せられること」だ。究極的には死刑にされたり、そうでなくとも刑務所に送られたりする。必ずしも金で済む話ではないのだ(罰金という金を払う罰もあるが、これも被害者に対して支払う損害賠償金ではなく、国に対して収めるペナルティなので民事責任とは性質が全く違う。)。そういう意味では、同じ法的責任でも、刑事責任の方が民事責任よりもハイレベルだ。より重い責任といってよい。
 したがって、刑事責任を負う場面では民事責任も併せて発生するが、民事責任を負う場面では必ずしも刑事責任も発生するとは限らない。例えば、飲酒運転で人を怪我させた場合、自動車運転致傷罪という刑事責任を問われることになるが、それと併せて民事責任として慰謝料などの損害賠償金も支払う必要がある。一方で、借金を返さなかった場合、その借金に遅延損害金をつけて返済すべき民事責任が発生するが、借金を返さないことを犯罪として処罰する法律は無いので刑事責任は問われない。

 このように、刑事責任<民事責任<道義的責任 右側から左側を包含する階層構造になっているのが法的観点で見た場合の責任である。

 だから、刑事裁判で無罪となっても、それは犯罪として罰せられなかったというだけで、民事責任は発生する場合がある。

刑事責任はなくても民事責任が発生する場合

 典型的には、過失(不注意)事案だ。刑事責任は、うっかりミスをことごとく処罰しない。不注意を処罰するのは、あくまでもそれを処罰すると規定した法律が存在した場合に限ることになっている。刑事責任には過失不処罰の原則がある。刑事責任は、国民を死刑台や刑務所送りにする過激な責任の取らせ方だから、金を払っただけでは済まされないほど悪質なものだけに限ろうという発想だ。

 一方、民事責任は、所詮、金で解決させるだけの責任問題だから、うっかりミスでも見逃さず責任追及できる。不注意であっても、それに対して、金くらいはちゃんと払ってもらいますよということだ。
 具体的にはこういうケースだ。誰かから預かっていた貴重な骨董品の壺を、不注意で壊してしまったとする。この壺をわざと(=故意に)壊したとすると、これは器物損壊罪という刑事責任を負い、刑務所に行く可能性がある。ところが、この壺をわざとではなく、うっかり不注意で壊してしまっただけだったとすると、刑事責任は負わされない。なぜなら、器物損壊罪は、わざと壊した場合に限って適用され、うっかりミスでは適用されないと法律に書いてあるからだ。しかし、刑事責任を負わないということは刑務所に行かなくていいというだけで、全ての責任が免除されるということを意味しない。そこで、民事責任はどうかというと、これはもちろん負わされるわけだ。民事責任は、わざとだろうとうっかりだろうと、避けがたい不可抗力でもない限り、金で賠償することで責任を果たす必要がある。だから、この壺のケースは、刑事責任は負わないが民事責任は負うケースということになる。もちろん、ごめんなさいと謝るべき道義的責任も発生しているだろう。

 おわかりいただけただろうか。

 ときどき、不始末して無罪にななるとはケシカラン!警察は何をしている!と怒っている人を見るが、無罪と言うことの意味を誤解しているのではなかろうか。無罪とは刑務所に行かせるほどはないということまでであって(そして警察は刑事責任を捜査する機関であって)、およそ全ての責任を免責していることを意味するのではないということを理解するといいだろう。

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