弁護士 小川義龍 の言いたい放題

 30年選手の弁護士小川義龍(東京弁護士会所属)が、歯に衣着せず話します。

裁判に勝つためには(4)・・・三審制

 これまで、主張立証の話をしてきた。今回からは、裁判に勝つためのポイントを、別の観点からいくつか話してみよう。

 まずは三審制について。

日本の裁判は最初(第一審)が勝負

 日本の裁判は三審制といって、一つの争いごとについて三回裁判できることになっている。こんな仕組みは、小中学校の社会科で習っただろう。

 学校で習ったイメージによると、三回戦勝負が行われるような気持ちにならないだろうか。一回戦で負けても、気分一新して二回戦でまたはじめから勝負すればよい、それに負けたって三回戦目があるぞと。

二回目(控訴審)は裁判のやり直しではない

 しかし、仮に最初の裁判、つまり第一審で負けた場合、二回目の裁判、つまり控訴審は、一回目の裁判のやり直しをしてくれるわけではない。ここが皆さん勘違いしているところだ。

 二回目の裁判は、一回目の裁判の延長で、新たな証拠などがあれば追加して出しても良いという程度の補充的なものに過ぎない。これが刑事裁判になるともっと厳しくて、新たな証拠すら簡単には出せず、一回目の裁判の内容が間違っていたかどうか、つまり判決にミスがあったかどうかを検討する場でしかない。

 心機一転、最初から裁判をやり直すわけではないのだ。だから、普通、控訴審はあっという間に終わる。例えば民事事件の第一審が一年以上かけて何回も期日が入っていたのに対して、控訴審は一回の期日で終わってしまうことも多い。

第一審で負けていたら、だいたい控訴審でも負ける

 だから、第一審(一回戦)で負けていたら、控訴審(二回戦)でも負けることが多い。

 なぜなら、第一審で出せなかった証拠を新たに控訴審で追加するということはあまり考えられないからだ。控訴審で続々と新証拠を出せるということは、とりもなおさず、第一審で手抜きをしていた(出すべき証拠を出していなかった)ということになってしまうからだ。

 そして、特に決定的な新証拠も出さずに第一審と同じ証拠で勝負する限り、控訴審でも同じ結論になるのが普通だろう。なぜなら、事実認定とは、証拠を常識的に見た場合の推論の結果だから、同じ証拠である限り、常識的に同じような結論になりやすいはずだからだ。

 とはいえ、特に民事の控訴審では、逆転判決という事態もそれほど珍しいことではない。常識的な証拠の評価といっても、判断する人が変われば微妙に常識のぶれも出てくる。常識判断とは、なかなか難しいものだ。

三回目(最高裁)は無いと思って下さい

 第一審で負けて、控訴審でも当然負けて、そして最後の砦の最高裁判所への上告、つまり最終ラウンドの三回戦。

 これは無いと思っておいた方がよい。

 なぜなら、最高裁判所の上告事件は、第一審や控訴審とは、そもそも裁判の仕組みが違うからだ。簡単に言えば、最高裁判所では、多くの当事者が不満に思う事実認定については判断してくれないのが原則だ。裁判に負けて不服に思うのは、裁判官が自分の言い分を聞き届けてくれなかったという点にある。それはまさに、自分が考えている事実を認定してくれなかったという不満だ。だから、再々度、裁判をやり直したいと考えるわけだろう。

 しかし、控訴審ならこの事実認定に誤りがあったかどうかを再検討してくれるが、最高裁判所の上告審では、事実認定の誤りを再々検討してくれることは原則としてない。

 では、最高裁判所はなにをするのかというと、第一審や控訴審の判決に、法令上の誤りなどが無かったかということを検証する。法律を誤って適用してしまったとか、法律の手続に正しくのっとっていないとか、そういうことがなかったかどうかを検証するのが上告審だと思えばよい。となれば、プロの裁判官たちが、第一審と控訴審と二度にわたって慎重に裁判している以上、法令上の誤りや手続に正しくのっとっていないというような事態は普通ありえない。そして事実認定は再々検討しないから、結論は変わらない。

 こんな感じで、最高裁判所の上告事件で、逆転されるということは、まず無いと思って下さい。

結局、第一審に一番力を入れるべき

 そうすると、裁判に勝つために一番力を入れるべきポイントは、第一審を真剣に戦い抜くことだ。

 ときどき、第一審の弁護士がいいかげんで負けたので、控訴審に敏腕弁護士を就けて巻き返しを図りたいと相談に来る人がいる。確かに控訴審ならまだ巻き返しができることもあろうが、しかしそれでは遅い。

 第一審の弁護士がいいかげんだと感じたのであれば、第一審の判決が出てしまってから弁護士を替えるのではなく、第一審の途中で、それもできるだけ早い段階で、弁護士の交代を検討すべきだ。交代を検討するために、別の弁護士にセカンドオピニオンを聞きに行ってもいいだろう。

 第一審の充実、これこそが裁判に勝つためのポイントだ。

つづく

日経新聞のトンデモ社説(裁判員)

 司法制度論に関しては、突出しておかしな社説が多い日本経済新聞だが、久しぶりに凄いものを見た。

「5年の経験生かし開かれた裁判員制度に 」(日経新聞 2014/5/26付

 以下、引用する(原文はこれ)。

『刑事裁判に市民が参加する裁判員制度が始まって、5年がすぎた。今年3月末までに4万9434人が裁判員や補充裁判員に選ばれ、計6396人の被告に対して判決を言い渡した。
 制度はおおむね順調に定着しつつある。だが裁判員の辞退率が6割台に上ることや、守秘義務が厳しすぎて経験を広く共有できないことなど、課題も多い。
 新たな問題として注目されているのが量刑の判断だ。裁判員制度が導入されて、性犯罪や児童虐待を中心に従来より重い判決が出るようになった。検察官による求刑を上回る判決も増えた。
 ・・・(中略)・・・
 裁判員制度は裁判官、検察官、弁護士という司法のプロだけで完結していた裁判に民主的なコントロールをきかせる仕組みだ。
 裁判員の負担をできる限り減らして、より多くの人が参加しやすい環境づくりを進めなくてはならない。守秘義務も緩めて裁判員の経験を社会全体で共有し、制度を育てていきたい。』

さて、この社説

 とんでもないことを言っているのがおわかりになるだろうか。

まずは「守秘義務を緩めて」との点

 われわれ法曹にとって、守秘義務は最も重要な要素の一つだ。当然、全く同じように裁判員にも当てはまる。

 神父さん牧師さんが懺悔を口外しない、医者が患者の病気を口外しない、新聞社が取材の秘密を口外しない、どれも当たり前に大切なことだ。これを緩めて裁判員の経験を社会全体で共有せよとは、井戸端会議や飲み屋で裁判員経験を皆で語って盛り上がれといっているようなものだ。論外というべきだろう。

 ちなみに取材源の秘匿をちょっとでも緩めるべきだと誰かが主張しようものなら、日経新聞、おそらく目の色変えて抗議するんじゃないか。

裁判員制度が「民主的コントロール」との点

 裁判員制度は、市民の素朴な常識感覚を事実認定をはじめとする裁判に反映させようとする制度であって、決して民主的コントロールを主眼としたものではない。

 民主的コントロールを主眼とされてしまうと、裁判所は国会と同じになってしまう。裁判官も国民の多数決判断に拘束されるべきとの発想だ。これは間違っている。なぜなら、国民の多数決によって抑圧された少数弱者の権利を保護することも裁判所に期待されている役割の一つだからだ。

 民主的コントロールを強められては、裁判所は国会と同じく、多数の代弁者となってしまう。裁判所は民主主義(多数決)が支配する場ではなくて、自由主義(人権)が支配する場なのだ。

裁判員の「負担を減らして」との点

 世間の注目を集めるような裁判で、時間や手間がかかるのは当たり前だ。特に有罪の場合に死刑が想定されるような事案は、人の命を国が奪うかもしれないわけだから、なおさら慎重に臨まなくてはならない。

 それなのに裁判員の負担を減らすべきだとは本末転倒も甚だしい。裁判はいったい誰のものなのか。少なくとも裁判員のものではない。裁判員には、悲惨な証拠を直視して頂かなくてはならないし、自分の生活に影響が出ようと、十分な時間と労力をかけて取り組んで頂かなければならない。それが、刑罰を科するということだ。

 裁判員裁判によって宣告される刑罰は、人の自由や生命を強制的に奪うという、とんでもないことであって、裁判員の人生経験を深めるためのイベントではない。裁判員を経験したことがトラウマになってしまっても、その裁判によって強制的に命を奪われる被告人、強制的に長年にわたる自由を全て奪われる被告人の不利益と比べれば、やむをえない。犯罪者だからといって人権を軽視してはならない。まして犯罪者だと断定する前の、もしかしたら彼は犯人ではないかもしれない被告人段階ではなおさらだ。刑事裁判とは、そういうものだ。素人だからと、甘やかせる場面ではない。

 もし、国民にそこまで期待するのが無理なのであれば、そもそも裁判員制度は間違っていたのだ。この先、やめた方がいい制度ということになる。実際、私は、もうやめた方がいいと思っている。大手新聞が、こんなとんでもないことを社説で主張しなければ、この先維持できない制度なのだから。

「量刑」は重い方がいいとの点

 日経新聞は、刑罰の量刑は重ければ重いほどいいと考えているようだ。

 つまり、大衆が拍手喝采する量刑をどんどん科すべきとの意見のようだ。こういう大衆の拍手喝采によって、古くは魔女裁判が、そして太平洋戦争では、少数弱者を非国民としてさげすんだことを、あらためて思い出す必要がある。

日経新聞の社説を言い換えると・・・

 結局、日経新聞の社説は、こういうことだ。

 「今後の裁判員制度を維持発展させるためには、裁判員の守秘義務を緩めて、裁判員の負担を減らしつつ、民主的コントロールを十分きかせて、厳しい量刑を与えるべきだ」と。

 それは言い換えると、こういうことになる。

 「今後の裁判員制度を維持発展させるためには、皆で他人の秘密をオープンにしながら、裁判員の都合に合わせて手間暇かけなくていいので、拍手喝采の多数決で皆が叫ぶとおり、さっさと死刑にしろ」と。

 ・・・怖いよ、怖い。

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