弁護士 小川義龍 の言いたい放題

 30年選手の弁護士小川義龍(東京弁護士会所属)が、歯に衣着せず話します。

小中学校 法教育への提言

 人権や適正手続について、つまり法律の一番大切な「芯」の部分について、マスコミを含めて世間の勉強不足を時々見るにつけ、義務教育課程での法教育が不十分なことを思い知らされる。法教育、ついでに言うと英会話、これこそが日本の義務教育過程で、より充実させるべきカリキュラムだ。

 今日は、小中学校における法教育のお話。

学校現場における法教育の実践状況に関する調査研究について

 法務省が、平成24年と平成25年に、小中学校における法教育についてアンケートを実施した。まずその結果を俯瞰してみよう。

「小学校における法教育の実践状況に関する調査研究」 報告書(平成24年11月 法務省)

1)小学校では、どんな法教育をしているか

 主として社会科で、憲法、三権分立、国民の司法参加などについて教えている。40年ほど前に私が教わったのと、相変わらず同じメニューのように見える。そして、これら学習指導の充実について教師の意見は、とても充実させるとの回答が約6%、どちらとも言えないが約60%。

2)法教育における法律家との連携状況(34頁)

 連携がないとの答えが、なんと82%を占める。弁護士が余っているのに、呼ばれれば法教育に張り切って出かける弁護士は僕も含めて多そうなのに、もったいないことだ。

「中学校における法教育の実践状況に関する調査研究」 報告書(平成25年11月 法務省)

1)中学校では、どんな法教育をしているか

 小学校と同じく主として社会科で、国民生活と政府、人権と憲法、民主政治などを教えている(12頁以降)。テーマ的に小学校と代わり映えがしない。これもまた、私が中学生だった35年ほど前と大差なさそうに思える。

 教育内容を見ると、「日本国憲法に関する内容を実施・充実させた(最高法規としての日本国憲法、日本国憲法の三原則(国民 主権、基本的人権の尊重、平和主義)、憲法前文、憲法改正、憲法第9条、海外の法制度との比較、大日本 帝国憲法との比較、など)」とあるが、なんだか小学生レベルだ。

 中学生に憲法を教えるなら、より掘り下げて、適正手続、人権の内在的制約、表現の自由と参政権の重要性、人権同志が拮抗した場合(表現の自由とプライバシー権)など教えてこそじゃないか。

 なお、音楽科、美術科で法教育が施されているのが面白い。なにを教えているのかと思ったら、著作権だ。これはよい。音楽でも芸術でもソフトウェアでもアイデアでも、目に見えないものに対する権利評価がちゃんとできてこその先進国家だ。

2)法律家との連携状況(37頁)

 小学校より少しましだが、連携がないとの答えが51%だ。相変わらずもったいない。

 連携の効果について、「内容が難しすぎた」「講師の話が上手でなかった」「学校のカリキュラムにあっていなかった」などの意見は傾聴に値する(40頁)。我々法曹は、難しい話を平気でするし、難しい文章を書くし、話し上手に思えて、実は講演下手も多い。

3)報告書における「まとめと考察」(64頁)

 平成24年に実施された小学校対象の報告書よりも、平成25年に実施された中学校対象のこの報告書の方が充実している。特に最後に「まとめと考察」が書かれているところも興味深い。正しくまとめられた上で、それなりに考えられた考察が書かれているが、連携の点についてもう少し考察を深めたいという印象だ。

 法教育における法曹との連携

 そこで、法務省の報告書には通り一遍にしか書かれていない、法教育における法曹(弁護士、裁判官、検察官)との連携について考察してみたい。

 私自身を振り返ってみて、小中学校で施された法教育は、社会科の時間に、三権分立だとか人権の尊重だとか憲法の基本概念だとか、そんなうわべだけを短い時間で何となく習ったという記憶だ。私は、社会科は大好きで得意だったけれども、この授業は一番つまらなかった。たぶんこれは私に限った話ではあるまい。

つまらないのは教師の理解不足

 法教育の授業がつまらないとすれば、その原因は、おそらく教師の理解不足にある。

 十分理解していないことを教えようとすると、つまらない話になる。理解していることなら、子供受けのする楽しい喩え話ができたり、関連する興味深い雑談ができたり、 生徒のその場の様子に応じて手を変え品を変え多彩に語れるだろう。ところが、教える側が十分理解していないと、教科書の棒読みになってしまう。教わる側からすれば、何のイメージも湧かず、身近にも思わず、実につまらない。

 そもそも、憲法が大事です、人権が大事です、三権分立の平和主義ですと、こんなことを学校で教わっても、生徒としては今さら感がある。いまどき当たり前の感覚だ。これが、戦後まもなくであれば、戦前とは法の考え方が違うわけだから、人権や統治の基本を叩き込むのも重要だろう。しかし、もはや人権の尊重や三権分立は常識だ。この常識も学校での法教育の成果だといえば、そのとおりだが、それにしてもくどい。小学校の最初に教えておけば、あとは繰り返し同じ内容で教える必要はない。

まずは教師に対する法教育から

 そこで、私が思うのは、まず教師に対して我々法曹が法教育をすることだ。

 確かに我々法曹が直接生徒達と触れあって法教育をすることも大切だと思う。生徒達からすれば、普段接点のない法曹から直接話を聞くのは刺激的だろう。

 ただ、我々の話はえてして難しい。難しいと思わずに難しい話をしてしまう。これでは生徒達はついてこれない。前記報告書に、「内容が難しすぎた」「講師の話が上手でなかった」「学校のカリキュラムにあっていなかった」というアンケート結果があるのは(40頁)、そのとおりだろうなと思う。

 やはり子供達にじっくり教え込むのは、その専門家である小中学校教師に行わせたい。むしろ我々法曹は、その小中学校教師に対して、正しい素材を与えて十分な理解を導くのだ。

法教育の正しいadvance素材は何か

 とりあえず基本的人権だとか三権分立だとか民主主義だとか基礎知識を学んだ後で、小学校高学年から中学校あたりで扱うべき法教育素材を、思いつくままに挙げてみる。順不同、これが全てと言うつもりはない。

1)人権よりも適正手続

 人権教育は一番大切なんだけれども、大切だからと言ってこればかり教えていると、子供達は「権利星人」になってしまう。権利権利と騒ぐだけの子供に教育してはならない。学校に怒鳴り込むモンスターペアレントは権利星人のなれの果てではないかとも思ってしまう。

 だから、人権の重要性を説いたところで、その重要な「人権を制限する手続」は、大いに慎重にならなくてはいけないということを十分教えるべきだ。

 犯罪者がペナルティを受けるのは、他人の人権を侵害した以上、当然の報いだけれども、その犯罪者にも人権があるということ。人が死刑にされるとか刑務所に入るとか、これはどういうことなのか。万一、無実の人が死刑になったり刑務所に入ったりしないためにはどうしたらいいのか。広場で多数決裁判をして即刻死刑にするのはなぜダメなのか。

 そしてマスコミから、とかく曲解して報道されがちな弁護士(刑事弁護人)の役割。

2)事実認定とは何か(証拠の積み重ねと合理的推論)

 裁判員裁判が運用され、誰もが事実認定を行う時代になった。また、裁判を題材としたテレビゲームや、ドラマ・映画も多い。

 しかし普通の人と話をしていると、証拠もなしに「きっとこうに違いない」とか、一つの証拠を足がかりにどんどん勝手な想像をふくらませて3段飛び4段飛びの結論を出してしまう人が多い。これでは、事実認定というよりも、評論だ。或いは妄想。

 確かに事実認定は、推論に過ぎないのだけれども、それは証拠に基づく合理的な推論だ。証拠に基づく小さな推論を一つずつ着実に積み上げて、全体としての大きな結論を導く。これが事実認定だ。

3)民主主義(多数決)と自由主義(個の尊重)

 民主主義と自由主義は憲法から導かれる重要な理念だ、と教えるだけで終わっていないだろうか。

 学問的にはいろいろな定義や意味づけができる概念だけれども、義務教育レベルでは、民主主義を「多数決」と置き換え、自由主義を「個の尊重」と置き換えて考えさせてみると、どっちも大事だけれども、だいぶ毛色の違う概念だということを分からせることができるだろう。そして民主主義と自由主義とが対立する場面があることが分かる。

 そして民主主義は国会、自由主義は裁判所、これがそれぞれよく馴染む場所なんだと。だからこそ三権分立なんだと。イデオロギーとして教えるのではなく、具体的な中身として教えたい。

4)法の趣旨を考えさせる

 法で禁止されているからダメというのではなく、なぜ法で禁止されることになったのかを考えさせるべきだ。

 憲法だって何のために制定されているのか。改正論をはねつけるほどの金科玉条なのか。

 駐車違反、法律で禁止されているけれど、どうしてダメなのか。賭博、法律で禁止されていながら、なぜ競馬場があるのか。大麻、法律で禁止されているけど、オバマ大統領は昔やっていたと告白した、どうして日本ではダメなのか。

5)ネットワークと個人の尊重(表現の自由とプライバシー)

 今のネットワーク社会は、西部開拓時代の無法地帯に近い。よりどころとなる法は多少あるんだが、開拓のペースがそれに追いつかない。或いは法執行の手が届かない。しかし、日々関わって暮らしているのがネットワークだ。若い子達はとくに関わりの度合いが高いだろう。

 だから、まさに人権感覚を持ちながら関わる必要がある。法律が、いいとかわるいとか、そんな単純明快なスタンダードを子供達に与えてくれない。

 こんなアナーキーなネットワークで情報を発信したり受信したりする。この便利な恩恵は「表現の自由」という超重要な人権が保障されているからだ。一方で、むやみに個人に関わる情報を発信すると「プライバシー」「名誉」というこれまた重要な人権を害することになる。人権が重要だといっても、お互いにせめぎ合ってバランスを取らざるをえないのが社会だ。

 権利星人ではなく、満員電車にみんなが譲り合って乗るようにして、よりよい未来に向かって移動しているのが社会であることを分からせる必要がある。

教師に法教育を教える法曹をどうやってみつけるか

 さて、こんな法教育素材を教師に教えるとして、教える法曹をどうやってみつけたらいいだろうか。

 弁護士の場合、各地の弁護士会に受け皿がある。例えば、弁護士会には法教育センターがある。私が所属する東京弁護士会には、法教育センター運営委員会があって、法教育の一翼を担っている。

 あとは、個々の弁護士の一本釣りだろう。いま、弁護士は全国に少しずつ増えてきている。だから、小中学校で全生徒の親にひとりくらい弁護士がいてもおかしくない。弁護士は意外と教えたがりが多いから、教師向けのレクチャーをしてみてもらえませんかと頼んだら、快諾してくれるんじゃないか。私も呼ばれれば時間の許す限りどこにでも参上する。

  小中学校で十分な法教育を受けられなかった大人達にも、今からでも全然遅くはない市民法教育を。同じこと。

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