弁護士 小川義龍 の言いたい放題

 30年選手の弁護士小川義龍(東京弁護士会所属)が、歯に衣着せず話します。

最高裁長官の世襲は問題か?

 先月、最高裁判所長官に就任した寺田逸郎さん、お父さんもかつて最高裁判所長官の寺田治郎さんだそうだ。つまり親子で最高裁長官に就任した日本初のケースらしい。

 ところが、この親子就任に警鐘を鳴らした記事がある。出典は、AERA 2014年6月2日号だ。

最高裁長官の「世襲」に専門家「とても危ないと感じる」

 抜粋すると、こうだ。

国会議員は選挙で当選しなければ、議員にはなれない。その点では、世襲議員と呼ばれる人たちは、世襲に関して一定の国民の支持を得ていると考えられる。
 寺田氏で特徴的なのは、まさにこの“国民の支持”という点だ。約30年という間隔をはさんでいるとはいえ、ひと組の親子が国民の了解も支持も得ることなく、司法の最高権力を手中に収めた。
「とても危ないと感じる部分があります」
 格差や社会階層に詳しい某早稲田大学教授は、最高裁長官の世襲についてそう話す。
「社会全体に影響する意思決定に関わる人は本来、多様な社会階層の出身であることが望ましい。一つの家族出身ということは、同じ文化を共有していたわけで、似たような価値観が司法判断にも反映されやすい。司法の硬直化がますます強まりかねません」

 と。

国会議員は世襲させやすいからこそ問題

 しかし、国会議員の世襲と同列に危機感を持つのは誤りだ(そもそもこの論者は、国会議員の世襲は、民意を反映しているからよしとしている節もありそうだが)。

 国会議員は、国民の支持による一回の選挙だけで選ばれるからこそ、世襲の当否が問題となる。つまり、”おらが村の大先生の息子さんが立候補するなら、みんなこぞって投票して当選させてやらにゃなるべえ”という支持だ。それで、なかには代議士の器ではないものが当選したり、さまざまな地元癒着を親から受け継いだだけの息子が当選したりすることが、問題といわれるわけだろう。選挙と選挙区という構造が、世襲の土壌を作り上げている。

 このように、国会議員は、もっぱら選挙だけで選ばれるために、親と地元選挙民のパワーで、リーダーの器でなくても世襲できてしまうわけだ。実際、若い経験不足の二代目に当選してもらった方が、親爺より簡単にコントロールできて、政治と癒着して利益誘導していた連中にとっては好都合だろう。

裁判官を選ぶのは選挙ではなく司法試験

 一方、裁判官は、選挙ではなく、司法試験という資格試験によって選ばれるから、親や周囲が頑張ってなれるものではない。ご承知のとおり司法試験は楽な試験ではないから、何代目であろうと、自分の実力でなるしかない。しかも、なった先が公務員としてキャリアシステムの支配する裁判所だから、民間のような情実を効かせたり、大胆な抜擢をさせたりしにくい世界だ。

 もちろん裁判官にしろ弁護士にしろ、我々法曹に、最近二代目三代目は多いけれども、それは法曹界に限った話ではなく、どの世界でもよくある、親と同じ仕事に就いただけのことだ。親のDNAを受け継いだり、子供のころから身近で見聞した環境に影響されて、そうなるわけだろう。我々法曹は職人的だし、やりがいもあるから、自分に能力と興味があるなら親の仕事を受け継いでみようと子供が考えるのは自然な発想だ。

 つまり、室伏の子は室伏で、貴乃花の子は貴乃花。どちらも、世襲で金メダルや横綱を獲ったわけではなかろう。親のDNA(素質)と、子供のころから馴染んだ環境と、そして本人の努力だ。

裁判所は民意を直接反映させるところではない

 ところで、民意を反映させる、つまり国民の意識を多数決で反映させる機関は国会だ。

 裁判所は、そのように多数決で決まった法令に従って裁判を行うという意味で民主的だが、その法令が不当に人権を侵害するようであれば、法令そのものを否定できる。否定までしなくとも、解釈によってその法令を国会が当初想定していたのとは違う方向に導くこともできる。必ずしも多数者の利益擁護機関ではなく、少数者の人権も守れるような自由主義の牙城としての役割を期待されているのが裁判所だ。

 仮に裁判所が国会と同じように民意によって直接左右されることになったら、多数決原理によって支配される国会の追認機関になってしまうだけだろう。だから、裁判所にあれこれ民主的コントロールを及ぼしすぎるのは、かえって危険だ。

 この辺の考え方は、先日、裁判員に関する新聞社の社説についてのエントリー(「日経新聞のトンデモ社説」)でも書いた。

最高裁長官の世襲なんて誰にも損得がない

 このように、専ら資格試験によって選ばれる裁判官は恣意的な世襲をしにくい世界であり、裁判所に民意が直接反映しないのは当然のことだとすれば、今回の親子二代最高裁長官の登場は、別に危惧すべき事態ではない。ただの偶然とみておけばいいだろう。

 考えてみれば、世襲元である親はとっくに亡くなっていて世襲の根回しをしようもなく、公務員だから受け継ぐべき地盤や後ろ盾のようなものもなく、いったい誰が新長官を世襲させて得するのであろうか。だから、今のところ、これが最高裁ではなく、高裁長官であろうと地裁所長であろうと、そんなレベルでも裁判官の偶然の世襲を否定的に論ずる必要はないと思う。

国民審査で十分

 それでも最高裁判所の裁判官に二代目三代目が登場するのはいかがなものか、と感じるのであれば、国民審査がある。国政選挙の際に、二代目三代目を罷免すればいいわけで、民意を反映する手段はある。

 ただし、二代目三代目だからというだけで罷免するのは、金メダリストの子供はオリンピックに出場させないというのと同じくらいナンセンスなことだと思うけれども。

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