前回の大物辣腕弁護士会長モネの話は大好評だった。なんだか掲載から2日間で1万ページビュー頂戴した。なにが皆さんの琴線に触れたんだかよくわからない。しかし有り難いことだ。畏れ入ります。
さて今日は、ヤメ検・ヤメ判について語ってみよう。
ヤメ検・ヤメ判って?
ヤメ検とは、検事(検察官)を辞めて弁護士になった人のことだ。ヤメ判とは、同様に判事(裁判官)を辞めて弁護士になった人のことだ。辞め+検事=ヤメ検だ。司法試験に合格して司法修習を終えると、弁護士、検察官、裁判官のいずれかになることができ、最初に一回なったらジョブチェンジできないわけではない。数は少ないが弁護士から検察官や裁判官に転身する人もいる。
このジョブチェンジの中で一番多いのがヤメ検だろう。辞めるのは定年やそれに近いところで辞める人もいるだろうし、検事に任官してまだ数年というところで辞める人も結構いそうだ。
あんまりいい言葉ではない
このヤメ検とかヤメ判という言葉は、最初から弁護士一筋でいる弁護士と差別するような、ネガティブな語感を持つので、実はあまりよい言葉ではない。だから、私としては公式にはできるだけ使わないように心がけているが、しかし業界内で常用されている言葉であり、当のご本人がヤメ検ですヤメ判ですと(若干自虐気味に)自己紹介なさることもあるので、本稿では敢えて使わさせて頂く。ご容赦願いたい。
ヤメ検の刑事弁護は凄いのか
ヤメ検の弁護士に刑事弁護を依頼すると、なんだか頼もしそうに思える。実際そうだろうか。そのヤメ検が、刑事事件の捜査や公判に関わった期間が長ければ、刑事訴訟手続の勘所を知っているだろうから、実際に頼もしいところがあるのではないかと想像する。どうすれば起訴できるか、どうすれば有罪に持ち込めるか、そういうことを経験してきたわけだから、その逆を考えれば弁護にも大いに役立つだろう。
そういう意味で、ヤメ検の刑事弁護手腕は、なかなか凄い場合がありそうだと思う。
情実・裏口はないよ
この手腕に関して、依頼者によっては、ヤメ検なら検察庁内に情実や裏口があると期待する人もいそうだ。つまり検察官時代の後輩検察官に対して、今度俺が弁護する事件は手加減してやってよとか、捜査情報をちょっと教えてよという情実だ。
しかし日本の裁判でこういうことはない。確かに、先輩後輩関係で面識があれば、その人となりが頭に入っているので、このヤメ検弁護士ならいい加減なことはしないだろう(or いい加減だろうw)という先入観が働くことはありうると思う。その結果として、起訴不起訴ぎりぎりの事案で、このヤメ検弁護士ならしっかり被疑者を指導してくれそうだから起訴猶予にしてやってもいいかという程度の判断はあるかもしれない。しかし、単に先輩後輩という人的関係で弁護を有利に持ち込んだり、捜査情報をゲットしたり、こういうことはない。ヤメ検だと、裏で手を回して何とかしてくれると思ったら大間違いだ。ヤメ検が優秀だとすれば、それは裏で手を回すことではなく、正々堂々検察官時代の経験値の高さによるものだ。
1年や2年やったってダメ
しかし、1年や2年検察官を経験したところで、その経験値の積み重ねは新人OJT程度だ。経験しないよりはマシだが、数年間、検察官をやっただけのヤメ検は、普通に最初から弁護士をやっている弁護士と大差なさそうに思う。
検察庁法によると検事は8年以上務めると二級から一級検事になる。だから、「最低8年間」検事を務めていたかどうか、これが良い意味でヤメ検と堂々名乗っていいヤメ検ではないかと思う。
行政官僚の経験を積んでたってダメ
検事は、検察官として刑事事件の捜査や刑事訴訟の公判に立会するのが中心的な仕事であるが、そればかりではない。法務省の行政官僚として法務行政のデスクワークをしたり、外務省であるとか国税庁であるとか他省庁で行政事務を行う場合もある。刑事事件に関わるばかりではないのだ。また、訟務検事といって、民事訴訟などで国の代理人として弁護士的活動をする場合もある。このように検事のフィールドは実は多種多様だ。だから、刑事事件の捜査や公判経験が乏しいヤメ検の場合には、刑事弁護の腕が凄いとは予想できない。
法務省の行政官僚としてキャリアの長い検事は、検事としてはエリートだと聞くが、反面、刑事事件の現場経験に乏しいわけだから、ヤメ検として使える刑事弁護の勘所は乏しいと考えていいだろう。元大物検事が必ずしも辣腕刑事弁護士とは限らないのだ。
ヤメ検によっては検事感覚が抜けない人も
ヤメ検弁護士の中には、弁護士になっても検事感覚が抜けない人がいる。そういう人が弁護をすると、被疑者被告人が無実だと訴えても、そんなはずはないと耳を貸さなかったり、被疑者被告人の奇妙な主張を法廷で繰り広げるのは恥ずかしい(後輩検事たちに面目が立たない)と言ったりして、被疑者被告人が無罪だと言うのに、有罪を前提とした弁護活動を進めようとしたりする。こんなことをしたら、弁護士としては懲戒ものだ。
もちろんこういうヤメ検はわずかだと信じたいが、長年検事をやっていると、弁護士感覚が十分身につきにくいこともありそうだ。先日亡くなった河上和雄さんは辣腕特捜検事と評され、晩年は弁護士としてテレビでコメンテーターをしていたが、私からすると、弁護士としては疑問符のつく検察官的な視点でのコメントが多かった。もちろん、弁護士だっていろいろな考え方を持っていていいと思うが、普通の弁護士とあまりにも違う感覚を持ち続けていると、悪い意味で「あの人はヤメ検だから」と陰口をたたかれてしまうことになる。
ヤメ検の民事事件の腕はどうか
これは検事を辞めた年から起算して、新人弁護士として経験を積み始めたと考えればいいだろう。訟務検事として民事訴訟に関わった経験があれば、その年数を加算してよさそうだが、そうでもない限り、検事が民事事件の実務経験を積む機会は少なそうだ。したがって、ヤメ検の民事事件に関する経験値は、検事時代の年数は除外して、検事を辞めてからの年数で推し量ることになる。
検事をいつ辞めたかがはっきりしない場合には、そのヤメ検の登録番号から推測できる。弁護士の登録番号は日本弁護士連合会の弁護士情報検索ページから弁護士名で検索すれば判明する。この登録番号を、私のブログ「弁護士の選び方(4)経験年数」の中に引用した早見表に当てはめると、だいたい弁護士としての経験年数が判明するはずだ。
したがって、例えば20年刑事訴訟の現場で勤め上げたヤメ検でも、弁護士1年目であれば、弁護士としての民事事件処理能力は新人弁護士に近いと思う。ただし、検事も弁護士も同じ法曹であるから、20年が10年でも検事として経験を積んでいれば、法曹としての勘所は十分掴んでいるはずだ。だから、最初の1年目くらいは、本当の新人弁護士と大差ないかもしれないが、その後の伸びが全然違うのではないかと思う。つまり、数年もすれば、弁護士10年選手以上と同じような民事経験を上手く身に付けていそうだ。
そういう意味で、いかに元大物検事のヤメ検弁護士であっても、登録から数年間は民事事件の能力はちょっと危なっかしい予感がするが、ある程度経っていれば、民事事件の腕をすっかり上げているのではないかと思う。この辺は人それぞれ弁護士になってから何を研鑽したかによって違いそうなので、依頼者自身、よく相手を観察して吟味なさることだ。
ヤメ判はどうよ?
ヤメ判についても、上記と同様に考えていいと思う。
判事も、検事ほどではないにせよ、裁判官として法廷に臨んだ経験の長い人ばかりではなく、最高裁判所の事務総局や法務省など司法行政畑を多く歩んできた人がいる。こういう人は判事としてはエリートと聞くが、行政畑を歩いた経験ばかりで実際に法廷に臨んで判決を書いた経験に乏しければ、ヤメ判としてのアドバンテージにはなりにくいだろう。したがって、実際に裁判官として法廷に臨んだ経験がどれくらいあるかという点で見る必要がある。
この点、裁判官は任官5年以上して特例判事補として指名され、単独で法廷を仕切れるようになる。そうなると、ひとりで事実認定して判決する経験を積むことになるわけだ。裁判官が考える事実認定の構造や傾向を知っているということは、弁護士として法廷に臨む際の主張立証活動に有利になることがあるだろう。したがって、ヤメ判も裁判官経験が7〜8年以上あれば、ヤメ判と名乗っていいヤメ判弁護士ではないかと思う。もう少し言えば、判事補から「補」が取れて、裁判官が正式に「判事」になるのが任官10年以上からだから、10年以上裁判官経験のあるヤメ判が、堂々ヤメ判というべきか。
しかしヤメ判にも弱点がある。それは、現場を殆ど知らないということだ。裁判官は、書面化して整理されて法廷に提出された事件しか見ていない。デスクワークしかしていないわけだ。ところが、世間の事件は、法廷に上がっているように整理整頓されたものばかりではない。もっと生々しい混沌とした状態から始まる。こういう生きのいい出来たての事件を取り扱える経験が裁判官には乏しいので、訴訟の仕切りや事実認定は得意でも、示談交渉や訴訟前解決は、新人弁護士とあまり変わらないことになりそうだ。それでも、同じ法曹としての勘所や、民事訴訟における訴訟上和解の経験があるぶん、本当の新人弁護士より経験値をぐんぐん上げてゆきそうなところはヤメ検と同様だ。
(つづく)
バックナンバー
連載中